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10. C-14標識体ナノモルドージングでヒトでの代謝試験

10.1 基礎的事項

 炭素の同位体
 天然に存在する炭素は2つの安定同位体C-12,C-13と1つのβ放射体C-14からなる.
 C-14は,N-14から(n,p)反応で生成と同時に半減期5730年でβ壊変してN-14に帰っていく.生成と壊変の平衡状態にある炭素をmodern carbonという.生命現象を停止すると,C-14の新生がなくなり,C-14の存在比は指数関数的に減衰する.これを利用して年代を決定するのがcarbon datingである.壊変が完全に終了した炭素をdead carbonと称している.C-14の生成量は地球に降り注ぐ中性子の密度によって変動する.他の同位体による年代測定法との比較によってC-14の生成量にも変動があることが分かってきた.最近では,この補正によって更に正確なcarbon datingが可能になった.
 C-13は,存在比の変動の大きい同位体である.これは,光合成における同位体効果や食物連鎖による同位体濃縮(例えば,鰯,鯖,鮪の順にC-13の存在比が高くなる)があるからである.このような事情からC-13の存在比の有効数字は,N-15や0-18と異なって小数点以下2桁(1.10%)と決められている.人体のC-13存在比は食習慣により変動する.実際,N-15の存在比とC-13の存在比の比を検討することによって,何を主食としているかを調べる研究がある.

 C-14には核実験の問題が絡むので,C-14の変動はより深刻である.古い核データブックにはC-14の存在比として145 pico %が挙げられている.そもそも存在比は安定同位体に対して用いられるもので,宇宙の歴史から見れば短寿命のC-14に対しては用いない方が良い.例えば,アイソトープ手帳では,超長寿命核種であるK-40については半減期(12.77億年)と存在比(0.017)が記載されているが,C-14の存在比は記載されていない.この問題を使い慣れたdpm/g carbon で考えて見よう.1950年代,modern carbon中のC-14の存在量は13.56 dpm/g carbonとされていたが,1960年代盛んに行われた核実験によって24.4dpmまで上昇した.その後,二酸化炭素の形で地球表面に拡散したC-14は漸次海水中に吸収され,現在では15.3dpm/g carbon程度まで低下している.最近では,南半球に位置することから核実験の影響が比較的少ないとされるAustralian National Universityが作成したsucrose(20.42dpm)が天然のC-14標準物質として用いられるようになった(1).また,岩倉,樫田氏らは9.9 dpm/g carbonという値を報告している(2).このように,modern carbon中C-14濃度には確定した値がないということである.
 
 標識薬物
  有機化合物分子中の1炭素原子を無担体C-14で標識すると60mCi(=2.2GBq)/mmolの標識体が得られる.現在,無担体に近い標識体が供給されているので,投与するC-14標識薬物の比放射能は60mCi/mmolとする.

 実験条件の背景
一日当たりの尿量は1000ml,便量は200g,血液総量は 5000ml,最高血中濃度において投与された薬物の 10 % が血中に移行していると仮定する.尿,便及び呼気に排泄される放射能を,1日当たり投与量の1%になるまで定量する.
残念ながら筆者の手もとには1日当たりのC-14排泄量を示すデータがないが,安定同位体トレーサー法を提案するに当たり,C-13炭酸バリウム中に,C-13製造時に濃縮されて存在するC-14の量を測り,人体中及び1日に摂取する食物中のC-14の量と比較したことがある.人体(体重 60 kg)及び平均的日本人が1日に摂取する食物中にはそれぞれ 49 nCi, 1.1 nCiの C-14 が含まれていると推定した(3).modern carbonからなる食物を摂取している以上,ヒトの排泄物中には同量のC-14がいずれかの経路で排泄されているはずである.すなわち,1.1 nCi(=37 Bq)が1日排泄物中の総C-14量で,この値がヒト代謝実験のバックグラウンド値となる.実際,尿試料を長時間低バック液シンで測定すると,C-14β線のスペクトルが観測される.

 放射能の測定に関する事項
放射能の検出精度は,計数効率の1乗,計数時間の1/2乗に比例し,バックグラウンド値の1/2乗に反比例して向上する.単位試料量当たりの検出限界は,測定系に導入された測定試料の量に比例して向上するが,この場合にはmodern carbonの寄与があるので完全には比例しない.
検出限界は,バックグラウンド試料の3SDを超える信号を与える放射能と定義して論を進める.これはやや厳しい基準である.
Fig.1にはRLG,普通の液シン並びに低バック液シンの1Bq以下の検量線を示した.液シンの試料はいずれも尿2mlを含む.
普通の液シン10分計数の検出限界68mBqである.この場合,尿によるクエンチングとmodern carbonの影響で検出限界はもっと悪いのではと危惧されるかもしれないが,検出部を徹底的に洗浄し,装置をベストコンジションに調整してとったことによってこの精度が達成されたと思われる.同じ測定試料を100分低バック液シンで計測したときの検出限界は10mBqである.低レベル試料では,クエンチングと試料中に含まれるmodern carbonの貢献も考えなければならない.尿,便及び呼気の測定試料の計数効率並びにmodern carbonの影響は尿2mlと同等とし,これらの測定試料の検出限界も10mBqとする.ラジオ液クロのピーク検出限界は0.35Bqである. 4.マイクロプレートラジオルミノグラフィーとその Radio HPLC への応用のFig.2

 

Figur 5

Fig. 1 Comparison of the calibration curves for low C-14

 

 Fig. 2は尿2ml,8ml及び血液0.5mlを低バック液シンで測定した場合の,測定時間と単位体積当りの検出限界を求めたアロカ社のデータである.計数時間を延長し,測定試料の量を大きくすることによって単位体積当たりの検出限界が向上することが分かる.例えば,計数時間1分における尿1ml当たりの検出限界で比較すると,尿2ml試料では0.22Bq,8ml試料では0.075Bqである.この場合,後者が前者の1/4にならないのはクエンチングと尿中に存在するmodern carbonの影響によるものと考えられる.これらを100分計数すると,それぞれ0.02,0.006Bq付近まで向上している.また,血液の検出限界も10mBq前後と見なして差し支えないことを示唆している.

Figure 2

Fig. 2 Relationships between sample size and detection limit


  Fig. 3は,尿8mlと,これに10BqのC-14を添加した測定試料を波高分析した結果を示す図である.C-14を添加していない測定試料に見られる,2 〜 5keVの信号は天然に存在するC-14によるものである.

Figure 3

Fig. 3 βray spectrum of urine

 計数時間100分は,実験動物の測定試料を扱ってきた経験からはいささか長過ぎるようにも思われるが,検体数が慎重に制限される(1人当たりせいぜい20個ぐらい)ので,この計数時間は実用的である.また,計数モードをプリセットカウント+プリセットタムにセットし,計数の低い試料は重点的に長時間計数するようにすれば,トータル計数時間は同じでも測定精度を上げることができる.

 更に感度を上げる方策
RLGの検出感度は,BASの感度面均一性の校正,重ね合わせ露出法(液シンの逆同時計数回路に対応)によるバックグランド値の消去,露出時の遮蔽の強化,(fadingを押さえるため低温で)露出時間の延長などによって更に向上できる.
低バック液シンのデータは,10年ほど前東ア研の装置を1週間借りてとったデータである.マイマシンを使い,ベストコンジションで測定すればもっと良いデータが取れると期待している.低バック液シンの精度は次に述べる方法の1つまたは幾つかを組み合わせることによって更に向上できると考えている.
使用した低バック液シンは,環境中のH-3やC-14の測定用に使われているものである.標準仕様では100mlのバイアルを使うことになっているが,この基礎検討ではアタッチメントをつけ,普通(20ml)のポリエチレンバイアルで測定した.このサイズのバイアルでは1日に排泄された尿や便の1/500を測ることができる.100mlのバイアルを使えば,クエンチングの影響は同じ状態で測定試料サイズを5倍にすることができる.
1970年代に盛んに検討された方法であるが,測定試料中の全炭素を(アセチレン経由)ベンゼンに変換して測定する方法を採れば試料サイズを更に大きくすることができる.ベンゼン自動合成装置はかって市販されていたことがある(2).液シンによる測定では,一般に生体試料量を大きくするとクエンチングによって計数効率は低下するが,ベンゼン自身はクエンチングのない溶媒であるのでこの方法では計数効率はむしろ改善される.便の含水量を50%,乾燥便中の炭素含量を30%とすると,1日便には30gの炭素が含まれていることになる.これを全量変換して得られるベンゼンの量は約33gである.すなわち,100mlバイアルを使えば,1日に排泄された全量を測ることができるということである.装置の制約から全量をベンゼンに変換することは無理としても1/10を変換することは難しい要求ではない.実際に,岩倉論文にはベンゼン5gを合成するケースが紹介されている.Fig. 4は同論文に掲載されているベンゼン合成装置の配置図で,この装置は東大総合研究資料館にあると記載されている.この装置を自動化し,試料交換装置をつければ測定試料調製も格段に容易になる.

Figure 4

Fig. 4 System for benzene synthesis

 ドーズ(薬用量)を更に低くする方策
最近,薬効が発現しないドーズ(マイクロドージング)でのマスバランスの研究の重要性が叫ばれている.以下に試算するように,低バック液シンを使う方法はnmol前後の投与量でヒトにおける薬物動態の検討を可能にしている.

  投与ドーズを更に少なくする有効な方法はC-14多重標識体を使うことである.現在,C-14標識薬物のほとんど全ては分子中の1個の炭素原子を無単体C-14で標識したものである.α位をC-14で標識した安息香酸は多くの標識体の出発原料になっている.例えば,ベンゼン核の全炭素とα位をC-14で標識した安息香酸を出発原料にして合成された標識体を使えば,投与ドーズは1/7に減らすことができる.
   
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