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2. 基礎講座

2.5 Q&A

Q 2.1 軟β放射体とはどういうβ放射体であるか?
Q 2.2 放射能の単位として Ci と Bq が使われているが,どちらが正しいか?
Q 2.3 比放射能の表示法を知りたい?
Q 2.4 同位体存在比は何に基づいて算出されているか?
Q 2.5 同重体と同位体の違いは?
Q 2.6 アッセイラボでは,一度に多数の試料を測定処理する装置(マルチカウンター)が使われているが,代謝研究には使えないか?
Q 2.7 クロストークとはいかなる現象か?
Q 2.8 ガラス製バイアルとポリエチレンバイアル,どちらが良いか?
Q 2.9 放射能の測定値としてcounts,cpm,dpm などが使われているが,どれが正しいか?
Q 2.10 液シンの原理を知りたい?
Q 2.11 検出限界はどう規定したら良いか?
Q 2.12 新しい RI 測定法の感度が液シンと比較されているが,これはどう解釈したら良いか?
Q 2.13 計数時間はどのくらいに設定したら良いか?
Q 2.14 液シンを常にベストコンジションに維持するにはどんな注意が必要か?
Q 2.15 シンチレーターはいかなる基準で選んだら良いか?
Q 2.16 溶媒のクエンチングの強弱を知りたい?
Q 2.17 低バック液シンでは、いかなる機構で低 BG 化されているか?
Q 2.18 C-13 標識NMR は薬物動態研究に使えないか?
Q 2.19 RI 標識化合物の扱いについての注意事項は?
Q 2.20 標識のスクランブリングはいかなる現象か?
Q 2.21 原子核反応による標識法とはいかなる方法か?
Q 2.22 ペプチドの標識はどうしたら良いか?
Q 2.23 C-13 NMR を検出手段にするときの標識体は?
Q 2.24 クロスオーバー法に対して同時投与法はいかなるメリットがあるか?
Q 2.25 同時投与法で気をつけなければならないことは?
Q 2.26 ヒトの動態研究で健常人とあるが,この定義は?
Q 2.27 ペプチドのトレーサー実験はどうしたら良いか?
Q 2.28 2 TBq/mmol のH-3標識体を使い,HPLC で代謝物を検索した場合,どのレベルまで検出できるか?
Q 2.29 C-13 標識 NMR トレーサー法の感度は?
Q 2.1 軟β放射体とはどういうβ放射体であるか?
A 2.1 エネルギーの低いβ粒子を放射するβ放射体を軟β放射体 soft βemitterと通称している.H-3,C-14,P-33,S-35 などがこれに属する.
Q 2.2 放射能の単位として Ci と Bq が使われているが,どちらが正しいか?
A 2.2 どちらも正しい.尺とメートルのようなものである.
 Ci curie 毎秒の崩壊数が3.7×1010個であるときの放射能を1 Ciと定義する.1 g のラジウムの放射能はほぼ 1 Ci である.
 放射能の SI 単位としてBq becquerel が用いられることになった.毎秒の崩壊数が1個であるときの放射能を1 Bq と定義する.
 最近は Bq が優勢である.雑誌ごとに使用する単位が異なるので投稿規定で確かめること.
Q 2.3 比放射能の表示法を知りたい?
A 2.3 単位物質量当りの放射能を比放射能specific radioactivityという.普通,Bq/molまたはCi/molで表示される.単位重量または単位体積当りの放射能を指している場合もある.普通,RI標識化合物は,対応する非標識化合物(これを担体 carrierという)で希釈されている.担体を含まない状態を無担体状態 carrier free(CF と略)という.分子中の1炭素原子を無担体 C-14で標識して得られる標識体の比放射能は 60 mCi/mmol である. mol 当りで表示した,各CF標識体の比放射能の値は,標識 RI の半減期に反比例する.これらのことを知っておれば,他のCF標識体の比放射能も容易に算出できる.
Q 2.4 同位体存在比は何に基づいて算出されているか?
A 2.4 原子数で表わした同位体の存在割合を存在比(存在度)abundanceという.存在比には変動幅があるのでそれぞれの同位体に対して有効数字が決められている. C-13 の存在比は食生活によって微妙に変動することを考慮して小数点以下2桁になっている.
 標識体と非標識体の等モル混合物equimolar mixture をトレーサー(イオンクラスター法)として用いたり,両者の等モルを別々のルートで投与して追跡する(同時投与法)ことがある.この場合,厳密には等重量ではなく等モルであることを強調しておく.
Q 2.5 同重体と同位体の違いは?
A 2.5 原子番号が異なり質量数が同じ原子核を同重体 isobar という.質量分析ではこの意味を拡張して同じ m/z 値を持つイオンを同重体イオン isobaric ion と呼ぶ.
Q 2.6 アッセイラボでは,一度に多数の試料を測定処理する装置(マルチカウンター)が使われているが,代謝研究には使えないか?
A 2.6 少なくとも現在は推奨できない.
  3.RLG による放射能の定量測定のところで解説したが,マルチカウンターが信頼性のある放射能の測定器として用いられるためには,クロストークの補正,及び感度とBG 値の均一性を検証し,不均一性が認められた場合には校正する方法が確立されていなければならない.現在,これらの基礎的な問題が等閑にされたまま使われている.スクリーニング測定にはこれでよいかもしれないが,代謝研究には精度不足である.
Q 2.7 クロストークとはいかなる現象か?
A 2.7 ある試料(あるいは関心領域,ROI)が隣接する試料の測定値に影響を及ぼす現象である.次のような原因が考えられる.
 放射線クロストーク γ線,エネルギーの高いβ線,制動放射線(軟β放射体でも量が多いと無視できなくなる)などは容器壁を透過し,周辺の試料の測定値を高くする.放射線クロストークは試料間に遮蔽体をおくことによって防止できる.例えば,P-32 はマイクロプレート RLGではクロストークがあって測定できないが,充分な間隔をとって穴をあけた真鍮板に試料さらを挿入して露光すれば,RLG でも測定できる.
 光クロストーク 液シンタイプのマルチカウンターでは,ある試料の蛍光が乱反射を繰り返して周辺の試料の領域まで到達し測定値を高くする.反射をしないような構造体で囲むことによって防止できる.
 フレア現象 RLG で,放射能の高いROI から PSL像が尾を引いたように現れる現象.露光された IP はレーザー光でスキャンされるが,フレア現象はスキャン方向手前側により強く現れることが知られている.
Q 2.8 ガラス製バイアルとポリエチレンバイアル,どちらが良いか?
A 2.8 再生できることと耐化学薬品性が強いことからガラス製バイアルが習慣的に用いられている.ガラス製バイアルは最終的にはそのまま(減容のためのクラッシングはしないようにいわれている)不燃性廃棄物として(引取り料が高い)処理される.再生処理には不特定多数の研究者が関わり,除染不完全なバイアルがある,外側を汚染した再生バイアルが液シンの計測部を汚染してゆくなどの可能性も否定できない.これに対して,ポリエチレン製バイアルには,BG 計数が数 cpm 低い,可燃性廃棄物として引き取ってもらえるなどのメリットがある.内容物が滲出する危険性も否定できないが,冷蔵庫内で1か月は保管可能といわれている.
Q 2.9 放射能の測定値としてcounts,cpm,dpm などが使われているが,どれが正しいか?
A 2.9 countsはある時間測定して得られる計数である.全て同じ計数効率で同じ時間計数した一連の試料間の比較にだけしか使用できない不完全な表示である.
 cpm(計数率)は counts per minute の略である.計数時間が異なる試料間でも比較できるが,計数効率が異なる試料間では比較できない.
 dpm(壊変率)は disintegration per minute の略で,前二者に比べてより厳密な表示である.測定に伴う統計変動を付記すればより完全な表示になる.
Q 2.10 液シンの原理を知りたい?
A 2.10 軟β放射体の測定には液シンが最も普遍的に用いられている.液シンでは,試料をシンチレーターに溶かし,バイアルにとり,2本(または3本)の光電子増倍管の間において測定される.C-14(H-3)から放射されたβ線は蛍光体分子に衝突して蛍光を発する.発生する光子の数は平均で750(100)個,この光子がそれぞれの光電子増倍管の光電陰極に等量ずつ当たって発生する光電子の数は110(15)個と見積もられている.この光電子が静電場で増幅されて信号として取り出される.この場合,2本の光電子増倍管に同時に感応した信号だけを取り出す回路(同時計数回路,coincidence circuit)によって熱雑音を低くしている.計数管が,相次いで入射した2個の放射線を2個として識別する最短時間をその計数管の分解時間という.光電子増倍管の分解時間(10 nsのオーダー)は GM 計数管の分解時間(0.1 msのオーダー)に比べて桁違いに短いが,それでも2本の光電子増倍管の分解時間内に偶然起こった雑音(accidental coincidence)は1つの計数として数えることになる.この他,計数部の RI 汚染,宇宙線などがBG 計数になる.普通の液シンの BG 計数は 20から30 cpm である.
Q 2.11 検出限界はどう規定したら良いか?

A 2.11 各研究室でそれぞれ独自の基準を設けている. BG 計数の2倍の計数を与える試料を「有意の放射能」とし,それ以下は not detected と切り捨てている研究室も多いが,これは大変乱暴な決め方である.解説したように,測定値の信頼性は計数装置の種類と測定時間によって大きく異なるからである.放射線作業環境測定の基準では「BG 計数率の 3 SD を与える放射能を検出限界とする」と規定している.これはやや厳格ま基準であるが,これに準拠することが妥当と思われる.この定義によれば,検出限界は,計数効率の1乗,測定時間及び BG 計数の1/2 乗に比例して向上することになる.BG 30.0 cpm の普通の液シンと 3.0 cpm の低バック液シンを使い,計数効率 80 % で測定した場合の検出限界を次表にまとめた.

Counting time and detection limit(Bq)*
Counting time 1 min 5 min 10 min 100 min
Conv. LSC(BG:30 cpm) 0.342 0.153 0.108 0.034
Low BG LSC(BG:3 cpm) 0.108 0.048 0.034 0.011

*: Detection limit=radioactivity giving 3 SD of BG counting rate. Counting efficiency: 80 %.

 これらは理論的に求められた検出限界であるが,大筋においては,普通の液シンと低バック液シンを使って計数時間と検出限界の関係を実験的に確かめた結果(1. チャレンジングデータ)とも一致している.使っている液シンのBG 値と計数時間から,日常どのくらいの検出限界で測定しているかを知っていることが重要である.重要な結論は,検出限界に関してデジタル(count)量で得られる液シンとアナログ(PSL)量で得られる RLG に本質的な差異は存在しない,計数(露光)時間の延伸(同図でAとB, DとEの比較),及び低 BG 化(BとC,EとFの比較)は検出限界を理論どおり向上させていることである.
 普通の液シンまたは低バック液シンで10分測定した場合の検出限界はそれぞれ 0.1 Bq,0.03 Bq であることを知っていることは,自分のみならず他の研究者のデータを読む場合に大変有意義なことである.

Q 2.12 新しい RI 測定法の感度が液シンと比較されているが,これはどう解釈したら良いか?
A 2.12 液シンは,半世紀近くにわたって軟β放射体の最も標準的な測定法になってきたため,後発の測定法は必ず液シンと比較されている.測定の原理が異なるので厳密な比較はできないが,比較はできるだけ客観的かつ総合的にされるべきである.
 液シンの検出限界を左右するのは,使用した液シンの BG値,計数時間,計数効率の3つである.液シンは,例えば BG 値の 3 SDを検出限界としている.後発の測定法でもまず検出限界を左右するのは何かを明示し,検出限界を定義してから液シンと比較するべきである.また,物質量で比較される場合に,使用した標識体の比放射能(Bq/mol)が欠けていると比較はできない.更にサンプルサイズ,1日当たり処理される試料数,測定単価なども考慮されるべきである.
 薬物動態研究の分野で液シンにチャレンジしているのはRLGと加速質量分析法の2つである.重要なことはそれぞれの測定法の特徴を理解していることである.
 液シン 操作が最も簡単である.サンプルサイズが圧倒的に大きい.プラズマなら前処理なく1 ml,carbon dating で使われている全炭素をベンゼンに変換して測定する方法を採用すれば炭素として10 gも測定できる.個別測定であるので計数時間の制約を受ける.
 RLG サンプルサイズ(プラズマで 0.1 ml ぐらい)の制約がある.計測(露光)時間を桁違いに長くできる.非破壊測定で測定経費が安い.例えば,HPLCフラクションのような多数試料の測定に有利.
 加速質量分析法 感度が高い.サンプルサイズ(プラズマで 10 μl ぐらい)が小さい.測定単価が極端に高い.試料数が少ない場合に適用できる.
Q 2.13 計数時間はどのくらいに設定したら良いか?
A 2.13 測定試料の放射能,実験目的,機械の空き具合などから総合的に決める.
 1000 cpm 以上の試料は1分計数でも良いが,100 cpm 以下の試料に対してこれはいかにも杜撰な測り方である.また,10 cpmの試料も1000 cpm の試料も同じ時間計数するのも芸のないことである.プリセットカウント(例えば,1000 cpm)とプリセットタイム(例えば,10 min)両モードで測定し,低カウント試料の計数時間を延伸して統計誤差を少しでも小さくするように努めるべきである.
 1分間に C-14 が壊変する確率は60億分の1である.機械が混雑しているから1分計数で妥協することは, C-14 標識体の合成に始まり,いろいろな経費をかけた最終段階をこの小さな確率にかけていることになる.10 分計数すれば,さらに1/3の低濃度まで追跡できたチャンスを自ら放棄していることになる.このような場合,液シンの新設が賢明な策である.液シンの価格を1000万円,消却期間を10年とすると,年間100万円の設備投資で質のより高いデータが得られるとすればこの設備投資も決して無駄ではない.
 もう1つの解決策は低バック液シン(5. 極低レベル C-14 標識薬物投与実験参照)の採用である.低バック液シンの導入は,他の条件は全て同じで,常に1/3 の低濃度まで追跡でき,低濃度試料の測定精度を向上させている,すなわちそれだけ科学的価値の高いデータを出し続けることを意味している.
Q 2.14 液シンを常にベストコンジションに維持するにはどんな注意が必要か?
A 2.14 液シン本来の性能を発揮させるためには,(光電子増倍管にかける)印加電圧と波高選別器が最適に設定されていること,RI 汚染による BGの上昇がモニターされていることが必須である.
 RI 汚染には2つの経路が考えられる.その1つは,蓋の閉め方が不完全なバイアルがあって,そのバイアルから内容物が微量ずつ滲出してゆく経路である.他の1つは,再生バイアルを使うことによる経路である.バイアルの内側の洗浄には十分な注意を払っているが,外側の汚染には注意が届いていないのが実情である.いずれの経路にせよ,積もり積もって光電子増倍管の光電陰極付近を汚染し,BG を上昇させている恐れがある.
 液シンの管理者は機械の作動状態を常に把握し,定期的にあるいは,異常が認められた場合には速やかに機械の調整や洗浄を依頼するようにしなければならない.
Q 2.15 シンチレーターはいかなる基準で選んだら良いか?
A 2.15 シンチレーターは,計数効率と測定対象の溶解度から最も適切なものを選ぶ.
Q 2.16 溶媒のクエンチングの強弱を知りたい?
A 2.16 クロロフォルムは非常に強いクエンチャーで,例えば1 mlの添加で C-14 の計数効率を約 30 % 低下させる.メタノールは中程度のクエンチャーで、添加量が1 ml以下なら計数効率の低下は問題にならない.エタノールも同様であるが、発酵エタノールを使うときにはmodern carbon による影響が懸念される.ベンゼンはクエンチングがない溶媒である.H-3 は C-14 よりもクエンチングの影響を強く受ける.
Q 2.17 低バック液シンでは、いかなる機構で低 BG 化されているか?
A 2.17 低バック液シンでは3本の光電子増倍管を使い,accidental coincidence による BG 計数を低くするとともに,計数部(センターカウンター)をプラスチックシンチレーター(ガードカウンター)で取り巻き,両カウンターを同時に作動させた信号はカットする機構(逆同時計数回路)になっている.この2つの工夫によって BG 計数は3 cpm 前後にまで下げられている.
Q 2.18 C-13 標識NMR は薬物動態研究に使えないか?
A 2.18 C-13 NMR は感度が悪いという先入観があるが,感度が悪いのはその存在比の低さ(1.10 %)にも起因している.特定位置を100 % 濃縮した C-13 標識体をトレーサーとすれば薬物動態研究に使える可能性がある.C-13 NMR 信号は極めて特異的である.すなわち,C-13標識炭素の共鳴位置は代謝物ごとに異なるので分離分析は省略でき,例えば尿ならそのまま測定できることが感度の悪さを補ってくれる.C-13 のNMR による測定には,C-13 を直接測る方法と,C-13 に結合しているプロトンを測る方法の2つがある.後者ではプロトンの感度で測定できるが,プロトンの共鳴範囲はC-13に比べてはるかに狭いので特異性は大きく失われることになる.実例を7.9 C-13 標識-核磁気共鳴トレーサー法の提案で紹介する.
Q 2.19 RI 標識化合物の扱いについての注意事項は?
A 2.19 RI 標識化合物,特に比放射能の高い H-3標識化合物は保存中に放射線分解を受けている恐れがある.RI 標識化合物は,放射線分解をできるだけ避けられるような条件(極性の低い溶媒に溶かす,冷蔵庫保管など)で保管するとともに使用に先だって放射化学的純度を検査することを怠ってはならない.
 クロスコンタミネーションには細心の注意が必要である.標識化合物合成時の放射能レベルと測定試料の放射能レベルは3桁以上の開きがある.すなわち,標識化合物の原液を扱った器具が測定実験の器具に紛れ込んだ場合には大きな混乱を引き起こすことになるので,両者は混ざり合わないよう厳重に管理しなければならない.
Q 2.20 標識のスクランブリングはいかなる現象か?
A 2.20 標識同位体は化学反応式に示される通りに導入されると考えがちであるが,標識が目標とした位置以外に分散されて導入されることがしばしばある.この現象を標識のスクランブリング scramblingという.例えば,二重結合を重水素で接触還元すると二重結合のあった位置だけでなくその近くの水素も交換的に重水素標識される.また,リチウムアルミニウム重水素でカルボニル基を還元すると,カルボニル基の隣も交換的に重水素標識される.意外に思われることであるが,C-14 標識化合物の合成でもスクランブリングが見られる.例えば, [1 C-14]chlorobenzene をsodium amide で処理して得られる[C-14]anilineでは,C-14の52 % は(2+6)位にスクランブリングし, [2 C-14]2-phenylethylamineを亜硝酸処理して得られた2-phenylethanolではC-14 の21.5 % が1位にスクランブリングしていたなど多くの例が,前に紹介したMurrayらの成書に報告されている.
 RI 標識体では,代謝的に安定な位置なら標識が移動していてもまた標識原子数が変わっていても問題にならないが,安定同位体標識体では標識が計画した位置に,計画した原子数の同位体が存在しないことは大問題である.スクランブルに気付かずに誤った結論を引き出す失敗を避けるためにはトレーサー実験に先だって IR(H-2標識体に有効),NMRまたはMSで標識位置と標識原子数を確認しておく慎重さが求められる.
Q 2.21 原子核反応による標識法とはいかなる方法か?
A 2.21 有機化合物を炭酸リチウムと混ぜて中性子照射すると,Li の (n,α)反応で生成したH-3 によって有機化合物が G 標識される.含窒素化合物を中性子照射すると,N-14の (n,p) 反応でC-14標識体が得られる.塩素化合物を中性子照射すると,Cl-35の (n,p) 反応で S-35 標識体が得られる.これらの場合,原子核反応によって新生した核は大きなエネルギー(反跳エネルギー, C-14 のエネルギーは 40 keV)を持っており,化学反応の常識では考えられない反応が見られる.例えば,aniline を中性子照射して生成する [C-14]toluene では,C-14 の 86 % がメチル基に,14 % はベンゼン核に存在する.また,標的原子は分子外にあっても良い.Toluene と2-methylpyrazine の混合物を中性子照射して生成する[C-14]toluene では分子内の炭素がほぼ均一にC-14 標識される.原子核反応による標識法は核化学的には興味深いが,G標識体しか得られないこと,放射化学的収率が低いことなどから実用性に乏しい.
Q 2.22 ペプチドの標識はどうしたら良いか?
A 2.22 ペプチドの代謝研究では,投与量が極めて微量であること,及び代謝の様式が普通の薬物とは大きく異なることを考慮しなければならない.
 ペプチドの投与量は,普通の薬物に比べて2〜3桁ほど低い量である.したがって,比放射能の点からC-14標識は実用性がない.I-125 による標識は,生物学的同等性と標識の安定性に問題がある. H-3標識では,C-14 標識より3桁ほど比放射能の高い標識体が得られる.H-3 標識体には,同位体効果と標識の安定性などに問題もあるが,ペプチドのトレーサー実験はH-3 標識体によらざるを得ない.
 ペプチドの代謝では,普通の薬物のように構成するアミノ酸残基が代謝される(例えば,フェニルアラニンがチロシンになる)様式もあるが,代謝の主流はペプチド結合が切れて幾つかの断片になる様式である.
 ペプチドの合成にはC 末端からまたはN末端から伸ばしてゆく2つの方法がある.いずれも自動合成装置があるくらい確立された方法である.しかし,放射化学的収率,ワンステップごとに出る大量の放射性廃棄物のことを考えると,この正攻法ではC 末端またはN末端のアミノ酸しか標識できない.すなわち,この標識体ではC 末端またはN末端アミノ酸を含む断片しか追跡できないという致命的な弱点がある.
 実用価値の高い,ペプチドのH-3 標識法として提案したのが,C=C結合を持つアミノ酸 and/orベンゼン核に臭素を置換したアミノ酸を組込んだペプチド(プレカーサーペプチド)を合成しておき,必要時にこれを無担体三重水素で接触還元して目的の標識体を得るルートである.この方法には,比放射能の極めて高い標識体(2個のCF のH-3 で標識したとすると,2 ×1012 Bq/mmol)が得られる,高比放射能のH-3 標識体は放射線分解を受けやすいが,トレーサー実験の前に one step で標識できるので放射線分解の心配もない,ペプチド鎖の内側にあるアミノ酸も標識できるのでこれをトレーサーにすれば代謝物をより完全に補足できるなどの利点がある.実例を7.10 TBq/mmol の H-3 ペプチドの合成とペプチドの代謝研究で紹介する.
Q 2.23 C-13 NMR を検出手段にするときの標識体は?
A 2.23 C-13 NMR の共鳴信号は極めて特異的である.1箇所を C-13 標識した薬物をトレーサーにすれば,基質及び各代謝物における標識C-13の共鳴信号は別々の位置に現れるのでなんの分離分析もせずに基質及び代謝物をまとめて検出し,信号強度から半定量できる可能性がある.多重標識すると,C-13間でカップリングが起こり,NMR スペクトルは複雑になるので,MS を検出手段とするときとは対照的に1原子だけを標識する.尿中で最も大量に存在するのは尿素,次いで馬尿酸である.したがって,これらのC-13 NMR信号とは重ならない位置を標識する.
 Peak heightで比較した強度が大きいことから,プロトンを持つ炭素を標識する方が良い.例えば,7.9 C-13 標識-核磁気共鳴トレーサー法の提案のFig. 2に示すように,馬尿酸1位炭素の信号は3(5)位のそれの 1/2よりはるかに弱い.
 C-13 NMR では,炭素数20個ぐらいの分子なら1共鳴信号-1炭素に対応する.共鳴信号が偶然重なる恐れがあるなら,2種類のC-13 標識体を調製し,補完的に使えば全代謝物を更に完璧にカバーできる.
Q 2.24 クロスオーバー法に対して同時投与法はいかなるメリットがあるか?
A 2.24 クロスオーバー法では,被験者を2つの群に分け,ある休薬期間をおいて実験することになっている.薬物動態に関する各被験者のパラメーターは不変であるという前提に立っているが,この前提自身が根拠薄弱である.有意差を出すためには被験者数を大きくしなければならず,そのために実験量が膨大になる.これに対して同時投与法では,一人一人のデータが意味を持っている.メチルテストステロン錠剤について両法の精度を検討した結果(7.6 同時投与法による17α-methyltestosterone(MT)錠剤の生体利用率の測定参照)では,生体利用率で 20 % の差(α=0.05, 1 - β=0.8)を検出するために必要な被験者の数は,クロスオーバー法では 40 人であるのに対して,同時投与法では12人で足りることが明らかにされた.
Q 2.25 同時投与法で気をつけなければならないことは?
A 2.25 代謝プールとアイソトープ効果の問題がある.投与量が代謝プールより大きい場合,より速やかに到達した一方がプールを飽和してしまうので,他方の挙動は単独投与した場合とは異なることになる.Dose dependency をあらかじめ検討しておかなければならない.また,等モル混合物を使って同位体効果の問題も検討しておく.
Q 2.26 ヒトの動態研究で健常人とあるが,この定義は?
A 2.26 著者自身答えに窮する.FDA と共同研究した,7.6 同時投与法による17α-methyltestosterone(MT)錠剤の生体利用率の測定では,薬物投与は FDA が行った,そのときの被験者の選択及び管理は次の通りであった.…the healthy male volunteers,21-34 years of age, fell within 10 % of his ideal body weight for his age and height. No subject had any history of or present cardiovascular, hepatic, GI, testicular, or hemopoietic disease. In addition, the subjects had to refrain from all drugs for 7 d prior to each study and 3 d following drug administration. Informed consent was obtained from all subjects.
Q 2.27 ペプチドのトレーサー実験はどうしたら良いか?
A 2.27 ペプチドの代謝研究では,標識化合物Q and A で取り上げたような問題がある.
Q 2.28  2 TBq/mmol のH-3標識体を使い,HPLC で代謝物を検索した場合,どのレベルまで検出できるか?
A 2.28 ペプチドの代謝物の分離は HPLCによらざるを得ない.ラジオHPLC による検出には,液シンによるオフライン計数,液シンタイプのオンライン計数,マイクロプレートのウエルに分割し,H-3 用の IP にヘリウム気流中で露光してRLG で測定する方法の3つが考えられる.これらの詳細については4.マイクロプレートラジオルミノグラフィー とその Radio HPLC への応用で解説した.
 Radio HPLCにおける検出限界は,ピーク本来のシャープさ,オンライン計数では検出系内滞在時間,オフライン計数では分画時間と液シンによる計数時間等いろいろな要因によって変動するので単純にはいえない.検出系内滞在時間を6秒5段加算した,同期加算型検出器 HPLCの H-3に対する検出限界は 4 Bq/peakであるので,これを使うと 2 fmolまで追跡できる.液シンでオフライン計数(10分)したときの検出限界は0.1 fmolと見積もられる.これらの感度は μg/kgの投与量で血中代謝物を追跡することを可能にする.代謝分析した実例を7.10 TBq/mmol の H-3 ペプチドの合成とペプチドの代謝研究に挙げておく.
Q 2.29 C-13 標識 NMR トレーサー法の感度は?
A 2.29 ヒトに適用できる充分な感度を有していると考える.
 プロトンを持つC-13の検出限界(10分測定)は 50 nmol である.この感度は,標識薬物0.1 mmol/manを服用し,尿10 mlを試料として動態研究を進めることを可能にする.s/n は測定時間の平方根に比例して向上すると考えられるので,1000分測定すれば,感度は5 nmolに向上できる.C-13 標識 NMR トレーサー法では,生体試料をまるごと,全代謝物をまとめて定量できるので測定試料数が少なくなるなどの事情から長時間測定も可能になる.また,HMQC 法でC-13 に結合している H-1を検出すれば感度は更に向上できる.これらは決して誇張されたものではないことは,7.9 C-13 標識-核磁気共鳴トレーサー法の提案のFig. 2,3を見れば理解できよう.
 
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