東薬会略史

HOME > 東薬会略史
明治23年 4月 下山順一郎校長の発意により「私立薬学校庚寅同窓会概則」が定められた。
これが記録に残る同窓会の嚆始とされている。
明治23年 4月 同窓会誌「庚寅同窓会誌」発行
平野一貫・鈴木皮七両先生編輯、年2回発行
明治32年 4月 校舎上野に移り同窓会誌「東台薬報」と改称す
編輯者 鈴木友七・所金蔵両先生
明治36年 1月 同窓会雑誌「東京薬学誌」と改称、月刊発行
榊原常吉(松籟)、加藤竜彦(蓬里)、車谷彦次郎(春連)、所金蔵(真澄)、慶松勝左衛門(松蔭)等編輯
明治36年 5月 東京薬学校校友会発足 向島華月花壇大園遊会開催の席上にて
明治37年 1月 会誌を「薬事評論」と改称 一部8銭、南山堂発行。一般公開高評を博す。
45年4月廃刊
明治43年10月 東京薬学校出身者会設立
在校生の学期委員と講師により運営されていた同窓会の外に出身者会を創立
大正元年11月 東京薬学校校友会雑誌「薬事評論」廃刊と会則の改正により機関誌の名称変更
大正7年 6月 「東薬会」設立協議会
神田一ツ橋学士会館にて丹波敬三、桜井小平太、荻村武郎、宮城光治等
大正7年11月 東薬会発会式
麹町富士見軒にて200余名参加、盛会を極む。そのとき既に出身者3,000名を越す。
大正7年12月 東京薬学校校友会雑誌廃刊 福森先生編輯
大正13年11月 東薬会を在校部会、出身部会と改組。
在校部会は卒業の際、会費20円を納め終身会員となり、同時に出身者部会員となる。
大正14年12月 東薬会誌第1号発刊
昭和 2年 7月 東薬会報(月刊)第1号発行 丹波敬三、池口慶三先生の辞あり
昭和 2年10月 東薬会会頭 丹波敬三校長逝く
東薬会副会頭 池口慶三弔辞
昭和2年度会費 金2円也
昭和2年頃満州東薬会の活躍目覚し
昭和 2年11月 東京薬専校長・東薬会会頭に池口慶三先生就任
昭和 3年 4月1日群馬県支部、5月12日神奈川県支部発会式
昭和 3年 7月 柏木新校舎に対し校歌寄附募集 東薬会在校部会にて1口50銭
昭和 3年11月 新築落成祝賀東薬会秋季大会 淀淀橋町柏木にて
昭和 3年11月 東薬会事務所淀橋町柏木に移る
昭和 4年 4月 東薬会報学生版生る(昭和4.5.30発行)
昭和 6年 5月 故下山、丹波両先生銅像建立祝賀東薬会臨時総会
昭和 6年 7月 東薬会別働団体柏桜会創立
昭和 6年10月 河合亀太郎東薬賞を池口校長より授与
昭和 7年 6月 東薬会報学生版廃止
昭和 7年10月 東薬在校生部会機関誌“柏”発行
昭和 8年6月 女子東薬会創立
昭和 8年12月 池口慶三会頭逝去  上野金太郎校長会頭就任
昭和10年 7月 池口博士記念事業(池口記念館建設および胸像建立)発足
大口喜六、上野金太郎両先生首唱
昭和11年 6月 上野金太郎会頭逝去
鍋島豊太校長事務取扱、東薬会副会頭就任
昭和12年 3月 東薬会学術彙報発行
昭和12年10月 東薬会報第85号より菊版となる
同号戦死者第一報古川嘉明君(専16)北支戦線の記事
昭和13年 5月 鍋島豊太校長就任、東薬会頭就任
昭和14年 会報戦時色強し
昭和15年11月 東薬会会員名簿第1号を発行
昭和18年 2月 東薬会報135号にて中断 戦時物資不足、統制強化のため
昭和23年 5月 女子東薬会を東京薬学専門学校女子部同窓会と変更
昭和23年 6月 東薬会報第136号続刊
東薬会会長 村山義温校長
昭和24年11月 東薬会、東薬女子部同窓会開催
東薬会の男子部、女子部合同成り、名誉会長 村山義温学長、会長 可児重一、
副会長 長野清人、岩崎正代を選任
戦前の終身会員制度の廃止 年会費300円となる
昭和26年 5月 東薬会事業部(保険代理店)発足決定 第3回定時総会決定
昭和26年 7月 東薬会共済部設置
昭和28年 5月 代議員会(クラス地域支部別選出)
従前の総会に代えるもの第5回定時総会決議により
昭和29年 3月 第1回代議員会 於柏木母校 議長 野沢清人氏
昭和32年 1月 本会顧問 大口喜六(旧2)(元法人理事長、衆議院議員、大蔵政務次官)逝去
昭和34年 7月 本会顧問 河合亀太郎博士・法人理事長逝去
昭和34年10月 本会顧問 野沢清人法人理事長・衆議院議員逝去
昭和36年 8月 東薬会報第200号発行
昭和40年 4月 「有功会員」制実施1口1万円 第12回定時代議員会決定
昭和41年 4月 名誉会長 寺阪正信(学長)顧問(村山義温名誉学長)に就任
昭和44年 3月 東薬会 可児重一(専6)辞任(常任顧問に推戴)
本会副会長 鈴木誠太郎(旧63)会長に当選(第16回定時代議員会)
昭和45年 4月 学長 長瀬雄三名誉会長となる
昭和45年 5月 会員海外視察団を編成 年1回、昭和48年度まで実施
昭和46年 3月 薬剤師国家試験補講開始 毎年2回、51年度まで実施
昭和47年 9月 学部学生に対し、奨学金の貸与開始
昭和49年 9月 卒後教育講座開講(東薬会・大学の共催で以後春秋、年2回開催)
昭和50年 6月 建学100年記念大講堂体育館建設資金募集委員会発足
昭和54年3月までに3億3千余万円の醵金あり
昭和51年 4月 大学移転とともに、事務所を八王子新校舎教育棟G51-7に移す
昭和51年 4月 東薬会館建設検討特別委員会発足
昭和52年 3月 東薬会会則全面改正
昭和52年 7月 学長 大木貞雄名誉会長となる
昭和53年 6月 長瀬雄三前学長・前名誉会長の退職記念品代を会員より募金して贈呈、
先生はこれを「校史碑」建設のために大学に寄附された
昭和54年 8月 昭和54年度版名簿作製につきコンピューター導入、事務能率化を計る
昭和55年 7月 母校創立100年を祝し、記念樹「しだれ桜」3本大学へ寄贈す
昭和56年 8月 名誉会長 大木貞雄顧問に就任 学長 宮崎利夫 名誉会長となる
昭和57年 3月 東薬会会則一部改正、有功会員制度が廃止された
東薬会会長 鈴木誠太郎(旧63)辞任(顧問に推戴)
安藤賢一(専14)会長に当選
昭和59年 3月 東薬会会則一部改正(第六条、第七条)
昭和59年 6月 会報「とうやく」300号記念号発刊
昭和61年 3月 東薬会会長 安藤賢一(専14)辞任(顧問に推戴)
山村一雄(専21)会長に当選就任
平成 2年 3月 東薬会会長 山村一雄(専21)辞任(顧問に推戴)
岡田信一(専20)会長に当選就任
平成 3年 3月 東薬会会則一部改正
平成 3年 3月 湯本芳雄本会顧問、法人理事長逝去
平成 3年 5月 学長 山川民夫名誉会長に就任
宮崎利夫前名誉会長(専30)顧問に推戴
平成 4年11月 第1回観桜会開催(平成4年4月)を記念し、ソメイヨシノ成木6本を母校に寄贈
平成 4年 2月 本会顧問 安藤賢一逝去
平成 6年 3月 東薬会会長 岡田信一(専20)辞任(顧問に推戴)
木口真一(専24)会長に選出
平成 7年 3月 東薬会会則一部改正
平成 7年 5月 理事長 水野睦郎(大2)、学長 森 陽(大2)顧問に推戴
平成 8年 3月 第43回定時代議員会において、会長・副会長の選出に初の選挙方式が行われ、
投票の結果2名の会長立候補の中から宮崎利夫(専30)氏が会長に当選
平成 8年11月 東薬会相談役 石井道子(大3)参議院議員が国務大臣・環境庁長官に就任
(第2次橋本内閣)
平成 8年11月 常田享詳(大14)氏が参議院議員に初当選
平成 8年11月 松本純(大22)氏が東京薬科大学OBとして初の衆議院議員に当選
平成10年 3月 宮崎利夫会長が日本薬学会教育賞を受賞
平成10年 3月 生命科学部の初の卒業生が誕生し東薬会の仲間入りをし、4名の新代議員・予備代議員が誕生
平成10年 6月 第45回定時代議員会において、宮崎利夫会長が東薬会会長に再任
平成12年 5月 理事長 上原昭二(専29)を顧問に推戴
前理事長 水野睦郎(大2)を相談役に推戴
平成13年 6月 宮崎利夫東薬会会長を辞任し顧問に、朝長文彌会長に就任
平成13年 8月 東薬会ホームページ開設
平成13年11月 平成13年度版東薬会会員名簿発行
平成15年 1月 会報「とうやく」366号よりA4サイズ・横書きへ変更となる
平成16年 6月 朝長文彌東薬会会長を辞任し相談役に、石井道子東薬会会長に就任
平成17年 9月 鈴木頼母様(専13)より奨学金指定寄付申出
平成17年11月 生命科学部合同同窓会(1期生から8期生)開催
平成17年11月 平成17年度臨時代議員会にて東薬会役員・代議員任期を2年から3年に延長議決
平成18年11月 第1回薬学部合同同窓会(大学25回から29回卒)開催
平成19年11月 第2回薬学部合同同窓会(大学30回から34回卒)開催
平成20年 4月 奨学金基金募金活動開始
平成20年11月 第3回薬学部合同同窓会(大学35回から39回卒)開催
平成22年 6月 石井道子東薬会名誉会長に就任
小木眞如東薬会会長に就任
平成22年11月 創立130周年記念 東京薬科大学卒業生名簿発行
ホームへ